『週末探偵』 文藝春秋社 (装画: 丹地陽子/装丁: 大久保明子)
週末探偵の表紙画像

男ふたりの探偵事務所
開業するのは週末だけ

瀧川一紀は、大学時代の友人・湯野原海に誘われて、
男ふたりで探偵事務所を開業することに。
「あれって、なんだったんだろう?」と不思議に思いつつも、
そのままになってしまうような
「ささやかな謎」の真相を解き明かしていく。
                                     (オビの文面より)



二十代の頃、旅先でうち捨てられたボロボロの鉄道車両を目撃したことがあります。
鉄道の路線や駅から遠く離れた、周囲に人家も見当たらない荒涼とした土地に、汚れて錆の浮いた鉄道車両が放置されていたのです。
「どうして、こんなところに?」
私は車を運転していたので、あっという間に廃車輌の前を通り過ぎてしまいましたが、わずか数秒だけ目にしたその光景が、普段の生活では滅多に遭遇しない〈日常の謎〉となって心に刺さりました。
「いったい、どういうことなんだろう?」
頭の中を?マークが飛び交いました。
もちろん国鉄(JR)が廃棄するはずがないので、考えられるとすれば、何らかの方法で車輌を手に入れた企業や個人が、不要になった車輌を捨てたという成り行きです。
しかし、そもそも鉄道車両を購入することが可能なのか?
これまで考えたこともなかった問いです。
そのときの私の興味は、誰が購入したのかではなく、何の目的で購入したのかでもなく、希望すれば買うことができるのか! という点でした。
鉄道の世界に詳しくないのであくまでも想像ですが、おそらく、チャンスと経済力とコネクションが揃えば不可能ではないのでしょう。
だから私は朽ちつつある鉄道車両を目撃したのです。



昔から車掌車のかたちが好きでした。
子供の頃、車掌車に乗って旅をしたい、と夢想した時期があります。
なぜか私は車掌車をひとつ所有していて、しかも全国津々浦々に伸びた国鉄の線路を自由に走っていいという許可を得ているのです。
私は北海道から九州まで、車掌車をのんびり走らせながら旅をします。野暮なことを言えば、車掌車には動力が無いので単独で走ることはできないはずですが、想像の中ではOKです。
私は景色のいい場所に来ると車掌車を止めて、心ゆくまでその眺めを楽しみます。
ときおり線路ぎわに親指を立てたヒッチハイク希望の人が立っていて、乗せてあげることもありました。
色々な人を車掌車に乗せた記憶があります。多かったのは一人旅の大学生で、たいていは陽気で話し好きのお兄さんでした。ときには女性を乗せることも。だけど女性を乗せるのは時々にする、という謎の自分ルールがありました。
印象に残っているのは北海道の草原で出会った初老の男です。穏やかで頭が良く、一人旅には危険がつきものだと諭してくれました。少し奇妙だったのは初対面なのに何故か見覚えがあったこと。男が交番に貼ってあった指名手配中の殺人犯だと思い出したときは、正体に気づいたことを悟られたらどうしよう、と痺れるような恐怖を感じました。結果的に何ごとも起こらず、男は海辺の小さな町で車掌車を降りました(その町は彼の故郷だったようです)。
いくらでもサスペンスを盛り上げることができるのにそうしなかったのは、「のんびりと車掌車で一人旅」というルールを破りたくなかったからかもしれません。
子供って、みんなで遊ぶときだけでなく、一人で遊ぶときにもルールを設定するのが好きなんですよね。



そして最後に探偵です。
書きたかったのは、プロとアマチュアのあいだをたゆたうスタンスの探偵たちでした。
同時にホームズとワトスンの役割分担が決まっていない二人組でもあります。
ささやかなチャンスを見逃さず、少しずつ人生を変えようとしている二人の若者を、イラストレーターの丹地陽子さんが、実に魅力的に描いてくださいました。



というわけで、青年時代に遭遇したちょっとした不思議、子供の頃の空想、それに以前から書いてみたかった探偵像、の三枚のカードを組み合わせて、最初の一篇を書いてみました。